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動体観察2Daysシリーズ・23日バージョン「月の下の因数分解」公演

投稿日:2024-06-24 更新日:

 

6月23日、ストライプハウスギャラリーでの『月の下の因数分解』公演(出演:梅澤妃美・秦真紀子・三浦宏予/作・演出:深谷正子)

6月23日、ストライプハウスギャラリーでの『月の下の因数分解』公演(出演:梅澤妃美・秦真紀子・三浦宏予/作・演出:深谷正子)。立ち会いの記録「見たこと、感じたこと、考えたこと」。

 

一気に書き上げる時間も体力も気力もないので、追記&修正しながらの断続的な内容となります。写真もないのでわかりにくい表現も多いです。つか、最後まで書けるのだろうか。。。

 

 



 

動体観察2Daysシリーズ「月の下の因数分解」公演

終了後の深谷さんの言葉で謎が解けた。

 

・ ・ ・

 

その言葉は最後に。

 

・ ・ ・

 

動体観察2Daysシリーズ・23日バージョン「月の下の因数分解」公演。

 

会場はストライプハウスギャラリー・スペースD。私は初めての場所。受付を済まし、暗幕を潜り、左手の階段を上がる。いきなり白が目に飛び込んできた。堅牢で存在感があるブラックボックスのような空間に散乱する白。勝手にシンプルな空間をイメージしていたが、いい意味で裏切られた。とはいえ、「なぜ?」という疑問が湧いたことも事実。

 

この建築物は、かつては写真家・塚原琢哉氏(https://tact27.wixsite.com/takuya)が1981年に設立した美術館だった。どのように塚原氏がこの場所を使っていたのかはわからない。しかし、風格のある重厚な空間からは、地力がある作品展示にふさわしいと思わせる何かを漂わせていた。もちろん見る側にとっても没入しやすい。

 

席に着いて、あらためて会場を見渡す。決して大きくはない四角い窓が3つ。正面は塞がれていたが、両サイドは隠されておらず、外光が入ってきている。照明はカミシモに3灯、4灯、そして正面に1灯ほど。この照明の配置や数、そして窓をすべて塞いでいなかったことに多少の違和感を受けた。もちろん前日の仕込みのママだった可能性もあるわけだが……。

 

そして、散乱する白。その正体は無数のビニール袋、紙コップ、プラコップ。床には養生用の薄いポリシート。ここは宴の後なのか? それとも? 今回の公演は、身体一つで勝負するだけではなく、芝居的な表現もあるのだろうか?  そんなことを思っていると、作・演出を手掛けている深谷さんが最前列、私の横に座った。そして定刻で開演。

 

・  ・  ・

 

3人は雨合羽を着ての登場。激しいクラブサウンドが流れる中、薄暗い中で歩みを進めていく。舞台奥に辿り着いたところで微動だにしない。3分ほどが経ち、シモテからの照明きっかけでゆっくりと3人の何かが動き始める。浮かれたクラブ系サウンドも消え、静寂。

 

ここからは三者三様の動き。まずは梅澤妃美さん(以下、梅澤)が先陣を切る。雨合羽を脱ぎ去る。はめていた手袋を取って捨てる、また取って捨てる、どうやら何重かにつけているようだ。わりと激しめに何回も手袋を取って捨てる行為は、手袋の数だけ何かの抵抗感?を振り捨てている印象すら受ける。対して秦真紀子さん(以下、秦)は、けだるそうに手袋を捨てている。そして三浦宏予さん(以下、三浦)は、静かに身体を揺らし続けている。ここまでの時点で7〜8分が経過。三者の性格描写的なプロローグなのか? それとも? あれこれと考えていると、照明の光を受けたプラコップの中に液体(水)が入っていることに気がついた。

 

ここまでの時点で私の頭に浮かんだのは、コロナ以前の「渋谷ハロウィン」。路上飲酒、バカ騒ぎ、破壊行為、ゴミの散乱という乱痴気、そして……祭りの後に行われる早朝の掃除。

 

深谷さんは社会的なメッセージを実験的に作品に込めようとしたのか? いや、そんなことではないはずだ。では、なんだろう。。。3人から新しい何かを生まれることを期待した上での状況設定(糸口)にすぎないのだろうか? 見ている側にとって、自由に想像するのは特権だ。このプロローグから3人はラストへどう展開し、どうコンタクトし、どうアンサンブル的なものが発現していくのか。この3点が自分にとっての見るポイントとなっていった。

 

10分すぎ。雨合羽などを脱ぎ捨てた3人の動きが一旦止まる。音楽的に言えば、ブレイク。そして本格的な身体表現に入っていく。右手をゆっくり上げ下げする者、手首や指を激しく揺らす者、いつしか3人は右足で左足を打つ行為を始める。何度も何度も足を打ちつける行為をしながら徐々に一体化していく。

 

ここから3人の動きがどのようになっていくのかな? と思ったタイミングで。音楽が流れる。曲はジャズボーカル。スタンダードなジャズナンバー。3人はゆっくりと手を上げ、急に激しく頭をかきむしり始める。3人は整列しながらかきむしる。そして、一歩前へ。またかきむしる。さらに、また一歩。かきむしる。

 

ポイントになる展開なのだろうが、じつはここで私は思考停止してしまう。なぜジャズ? なぜインストではなく、歌詞のある曲なのか? 私自身は音楽は詳しい方だと思うが、ジャズは詳しく知らない。曲は聞いたことはあるが、歌詞がわからない。今回の公演では、この後にもジャズボーカルが何曲か流された。意味があっての選曲であることは間違いない。だが、知らないことを恥じることはないし、知らないでも楽しめることもあるが、曲の内容と動きの関連性を見出せない状態となってしまった。

 

自由に想像し、無責任に思考するのは見る側の特権ではあるのだが、頭で見ていると、こういうトラブルが起きてしまう。あるがままを素直に感じることは大事なことだ。

 

そのうちに頭をかきむしっていた3人は倒れ込む。音楽もそこでストップし、床上で3人は身体を振動(痙攣)させる。ここまでで15分ほどが経過。

 

この後、梅澤に大きなポリバケツが手渡される。一人、梅澤はプラコップの水をビニール袋(レジ袋)に集め、ポリバケツに注ぎ入れる。繰り返し、繰り返し、繰り返す梅澤。その間、秦と三浦は我関せずといった風に別の動きをする。一体感になりそうでならない3人。演出的なものなのか、自発的なものなのかはわからないが、この時点から一体感で突っ走ってしまうと60分は持たないはずなので、いい意味でクールダウンの場面ともいえた。

 

そして、20分ほどが過ぎ、またジャズが流れる。頭をかきむしる梅澤と秦。いつしか三浦も加わる。かきむしり続ける3人。曲がストップしても止まらない。5分ほど続いたところで梅澤と三浦がコンタクトワークへと移動する。秦は梅澤がやっていた水の処理を始める。大量の水を袋に入れ、バケツへと注ぎ込む行為が続く。かなり大量の水だ。その間、梅澤と三浦のコンタクトが続く。しかし、大きな動きには発展しない。そのうちに秦の水集めはフェードアウト。そして、梅澤と三浦のコンタクトも静かに終了する。

 

ここまでで30分。混沌という「場」で繰り広げられた頭をかきむしる行為。象徴的な行為だと感じたが、それは何を表現しようとしていたのか? 緊張感や不安を拡張させるものだったのか? それとも後半の大きな変化につなげるために気持ちを整理する行為だったのか? この時点で集中力の8割以上は3人の動きに向けられていた。そして後半の展開に対しての期待も大きく膨らんでいった。

 

そして折り返し。梅澤が右腕を回し始める。それに呼応するように秦も三浦も大車輪の如く腕を旋回させていく。ここから一気に場が動くように思われた。それぞれが居場所を探し求めるかのようにカミシモ、センターへと移動しながら腕を回す。紅潮する腕。照明効果もあり、赤みを帯びた腕が美しい。個人的にはこの場面が白眉だった。できることなら照明を切り替えながら見せてくれれば幻想的になるのになぁ……とも思った。あらためて冒頭での違和感(両サイドのなどが塞がれていない状態)が浮かんでくる。

 

印象的な右腕の大旋回は3分ほど。その後、3人は静かにうごめき始める。ここで音楽が入り、這うようにうごめいていた3人は、ゆっくりと動きを止めて丸くなる。ここからいよいよ3人の関係性が発展していくかかと思いきや、それは裏切られた。三浦は立ち上がり、秦は動かない、そして、うごめきを再び始める梅澤。ここで三浦が新しい動きを始める。拝むような仕草。これは自然に発せられたものだったのだろうか。どのような意味があっったのだろうか。

 

音楽が止まる。このあたりで40分経過。じつは私のメモには「暑い!!」と大きく記されている。熱気と湿気に煽られてバテてきたようだ。同時に「3人は大丈夫だろうか?」とも思った。暑かったことが理由ではないだろうが、秦が大胆にシモテの窓を開け放った。意外な動きに驚いたが、これは突発的な行動だったのだろうか……。遮断された外界とのいきなりのシンクロ。「そうか! 窓を塞がなかった理由はここからわかるのかしれない!」と思った私だったが、それは結果的には空振りに終わってしまった。

 

その後も秦は窓を何度か開け閉めするが、外界とのコンタクトはとくに生まれそうになかった。三浦はコップとの関係性を構築し、梅澤は動き回る。その後、三浦と梅澤は中腰の姿勢に。そして秦も中腰へと加わるが、三浦と梅澤はここで離れていく。ここで私のメモには「足並みが揃わない3人」と残されている。最初から窓が気になっていた私としては、どこか消化不良に感じてしまったのだろうか。

 

50分すぎ。床に敷かれた養生用ポリシートに潜り込んで横たわる3人。ここで余韻を感じながらフィニッシュと思いきや、ゆっくり起き出してくる。私は不謹慎ながら「ここから気持ちを持ち上げるのはキツくないのかな?」と思ってしまった。そしてラストはポリバケツに集められた水をコップですくっては戻すを繰り返す3人。象徴的な水の音が響く。しだいに照明がフェードアウト。3人の姿は消え、薄暗い空間で水の音が響き続ける。そして音が止み、静寂に包まれていく。

 

ここで私は深谷さんの方に注意を向ける。誰かが……いや、いつ深谷さんがピリオドの拍手をするのかどうかを確かめたかったから。そこで流石と思ったのは、照明。静寂の中で明転させ、すぐに暗転。そして深谷さんが拍手。この流れで、スッと気持ちよく終わりを実感できた。1時間弱の公演。

 

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冒頭で「終了後の深谷さんの言葉で謎が解けた」と書いたが、この後に最初からの疑問が解き明かされることとなる。

 

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終了後に深谷さんが登場。まず最初に気にされたのが、床。すぐに濡れた床を拭うように指示する。ラストの行為……ポリバケツに集められた水をコップですくっては戻すを繰り返すという動きが激しすぎたせいだ。

 

気になる第一声。「若者は走ると止まらない」と苦笑い。そして自身と3人との関係性、それぞれの活動の経過や魅力を丁寧に伝えていく。すべてをポジティブに発信する言葉からは、懐の深さと愛情が伝わってくる。これは長年の付き合いからの同志的な感情、さらには、これからの未来を託したいという願いも込められているのだろう。

 

 

さて、やっと、肝心の話。

 

 

冒頭からダラダラと4千字ほど引っ張ってしまった。思いつくままに書くと、こういうことになる。身体表現と文章表現を同列に扱うことに共感する人は少ないだろう。しかし、文章もナマモノ。即興で書くことで名文が生まれることもある。事実、私は編集者だが、「これ、誰が書いたんだっけ? あ、オレだった」みたいな経験は何度もしている。しかし、そんなことばかりしていても、実力の積み重ねにはならない。全体構成や自分の役割を意識しないで書いても、文字の羅列になるだけ。むしろそんなことを繰り返していると、経験が積み重なっていかない。オレのようになる。

 

 

少し脱線した。

 

今回は開場時から怪しい雲行きだった。15時半が開場時間だったのだが、実際は直前(10分前あたり?)だったはず。私は外をプラプラと散策してから入場した。

 

今度こそ謎解き。

 

「3人は場所に飲まれてしまい、ゲネがスカスカになってしまった」「(なんとかしたいと思い)水ものを増やした」「まったく違う作品になってしまった」「何か生まれることに挑む会だったのだが、最初のイメージとは程遠いものとなった」

 

出てくる言葉はネガティブなものだが、深谷さんの表情は明るい。まるでノーサイドスピリット。もしかして若い頃は女子ラグビーをやられていたんじゃないか? なんて思わせる清々しい軽やかさがある。

 

私が入場時から気になっていた窓について。これは「(当初は)閉めていた。黒の四角の中でやるつもりだった」とのことだった。

 

 

なるほど。そうだったのか。

 

 

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さらにfacebook投稿後のやりとりで種明かしをしてくださったこともあるので、それも伝えておく。

 

まず、演出家としての言葉。「線路と途中駅は決めてありますが。どんな電車か途中どんな出来事が起きどう動くか? 全てはそこに居る人の決定で決まっていきます」という言葉。これは理解できる。

 

この言葉を聞いて、「線路と途中駅」という仕掛けには選曲(ジャズナンバー)が含まれていると思いったが、この予想は完全にハズレだった。

 

「音楽は決まっておりませんでした! 今回は体から有機的な出来事がリハーサルをやった時生まれてこなかったので、音響のサエグサさんに、楽曲がいいとリクエストしました。後は進行を見ながら彼が決定し、進行しました。私も本番で初めて見る音空間と光空間でした!」

 

正直、この種明かしには驚かされた。

 

当初、この文章では流された曲について深堀りしようともしたのだが、あえてカットした。それはこの種明かしを知ったからだ。曲の歌詞と連動する行為の考察は、まったく意味をなさない。そして、文章を書いて投稿することの必要性と意義を感じた。これもまた、因数分解といえるのかもしれない。自分が書いたことで深谷さんの求めていることの一端に触れられたことを嬉しく思う。

 

今回、ここまで書いてきたのは、理由が2つある。

 

まず1つ目。じつは富士栄秀也さんと一緒に即興に関する企画を行う予定をしている。私自身は即興の知識も体験も浅いので、深く向き合う必要があると考えたから。2番目は今回の公演で、深谷さんは「人(お客さん)の立ち会いで作品は成立する」ということを話されていたから。公演を見て思うだけでは形にならないし、成立しない。観客も自身の「動心観察」を行い、観察した心の動きや思考を形にする必要性を、強く感じた。

 

どんなジャンルでも、語る人が多ければ多いほど繁栄する。「面白かった」→←「ありがとうございました」というのは、単なる挨拶。薄い会話。やはり表現の醸成には『対話』が必要だ。

 

 

とはいえ、実際、形にする(文章を書く)ことは面倒だし、時間かかるし、しんどい。

 

 

しかし、しんどい行為から生まれることは少なくない。実際、書くことが呼び水となり、枯れ切った記憶の井戸の奥底から薄っすらと水が湧き出てきた気分となった。忘れていたことを思い出した。もちろん確認するために調べたことも勉強にもなった。ここ20年ほどのアート関係での活動で見てきた即興パフォーマンスの記憶のみならず、30数年以上前にやっていたアングラ芝居での役者の記憶、40年数年以上も前の演奏者などの記憶が蘇った。

 

ここからは私的な記憶なども含め、書くつもりがなかった部分にも触れていくことにする。

 

・ ・ ・

少し時間が空いてしまった。(6月27日朝の更新後、30日朝更新)

 

時間によって熟成されることもあるが、風化することもある。書きたい内容が変化したり、意欲自体が色褪せてしまうこともある。いい意味で整理される場合もある。はたして無事にソフトランディングできるだろうか。

 

・ ・ ・

 

今回のキモはどこにあったのか?

 

それは終了後の深谷さんの言葉で明らかにされている。

 

「体から有機的な出来事がリハーサルをやった時生まれてこなかった」。この言葉に尽きる。

 

 

では『有機的な出来事』とは、いったいどういうものなのか?

 

 

有機的という言葉を調べると、「緊密な関連や統一」「互いに影響し合う」「連携・調和」「相互作用・補完関係」「個性的な異質の結合」などといった説明が出てくる。言葉ではわかった気にはなるが、深谷さんの考える有機的というのはどういうものなのだろう。判断基準が難しい。とても気になる。しかし、本人から答えを教えてもらうのではなく、自分なりに感じ取って答えを出すのが本筋だろう。なぜならば、教えられた時点で、その人の枠から逸脱しにくくなるからだ。

 

不思議なもので、答えを誰かに教えられた人は、何かを生み出しにくい(と感じている)。これは独学を推奨しているのではない。哲学的な部分は遠道でも、回り道でも自分で問題を作り、自分で答えを出すしかない。創造することとは、自分で自問自答を繰り返し、腹を決めて形にする行為のような気がする。

 

・ ・ ・

 

だんだん話がとっ散らかってきた。いかん。

 

 

有機的とは……私の持っている言葉と照らし合わせてみた。有機的という概念は、私にとっては「満ちているか、満ちていないか」という感覚に近いかもしれない。これも曖昧な表現だ。。。この感覚はアングラ時代の中で演出家から指導され、自分なりに辿り着いたひとつの境地みたいなもの。

 

本来、自分の意識(意志)がなければ、身体は動かない(例外的にそれを超越した人は除く)。自分の意識(意志)が満ちていなければ、本質的な動きができない。満ちるために必要なのことは、「自分の内部の掘り下げること」と「外界との関係性を感じること」の2点。アングラ時代に私は演出家からこれを意識するように言われた。しつこく、しくこく言われた。もちろんできたかどうかは別問題である。

 

自分は何者で、どう身体を動かし、どういう言葉で話し、どう他者との関係をイメージするのか……こういったことをずっと考え続けることが至上命令だった。具体的に、微細な部分に向き合っていくことで、役という人間に近づいていく。意識の積み重ねが、無意識の行動へと変化していく、ということ。この手法の是非はともかく、繰り返しの作業の末に役に肉薄できたような気にも馴れたし、その過程の中で「満ちているか、満ちていないか」という感覚が絶えず傍らにあった。

 

では、今回、梅澤・秦・三浦の3人はどれだけ満ちていたのだろうか? 私の目線で勝手なことを書くことにする。

 

・  ・  ・

 

最初に言い訳のように書いておくが、これから書くことは決して批判ではない。批評でもない。心象描写のようなものだろう。

 

今回の公演(表現)からは考えさせられることが多かった。だから出演した3人(梅澤妃美・秦真紀子・三浦宏予)に対しては、ただただ感謝しかないし、リスペクトしている。その上で感じたことであるし、かなり見当違いである可能性も大である。

 

すでに書いたが、冒頭の入場部分は、3人から個性らしきものが漂ってきていた。しかし、それが公演中に持続し、膨らんでいっただろうか? ……私にはそうでもないように映った(誰も満ちてはいないように感じられた)。個性らしきものは3人の素の部分であり、冒頭後は、3人とも何かを探している印象を受けた。

 

終始、果敢に動いた印象の梅澤は、そもそも動きながら満ちていくタイプだろうか。緊張からなのか、まばたきが多い。本人はまばたきをどれだけ意識していたのだろう。私は「どうせならガンガンまばたきし、さらにに強弱をつけ、暴走気味に動けば、本人らしさへと振り切れたんじゃないかな?」などと不謹慎ながら感じた。ちなみに私は演出家からは「緊張感が切れるから芝居中は絶対にまばたきはするな」的なことを散々言われ続けたので、まばたき否定派ではある。しかし、それはそれ、表現は自由。くどいけれど梅澤のまばたきを批判しているのでも揶揄しているのでもない。

 

秦のことを深谷さんは「お人形さんのよう」と終演後に紹介していたと記憶するが、完全に満ちる、満ちないとは別次元にいるような存在だった。他者の気配を取り入れて自分の身体を通過させながら動くような印象。何か……場の空気をフィルタニングしながら動く操り人形といったところか。だからこそ3人の中でキーマン的な動きができた気もした。実際に「窓を開け閉めする行為」などもあった。もっと触媒的な思い切った動きをしたら、今回の公演の景色はガラリと変わったもしれない。

 

三浦は、満ちて動くタイプではないだろうか。しかし、今回は最初から満たすのに時間がかかっていたような気がした。3人が頭をかきむしる行為をシンクロさせたあたりからいい感じで満ちてきて梅澤とコンタクトワークへと移行したが、その先が消化不良気味になった(ように感じられた)のが勿体なかった。そもそもタッパがあり存在感がある方なので、小さくまとまってしまうとせっかくの動きもマイナスに受け取られてしまうかも。

 

 

・ ・ ・

 

 

それにしても偉そうに勝手なことばかり書いている。読んだ方を不快な気分にさせてしまうかもしれない。しかし、勝手に書く作業によって見えてくるものもある。言語化は明晰な思考を呼び覚ましてくれる。

 

今回の公演についての答え合わせは叶わないが、「3人がどう考え、どう動き、どう感じたのか」を想像するのは楽しい。「深谷さんがどのように見たのか」も気になる。そして、なにより「自分自身が即興について何を求めているのか、どこを見ているのか、何が気になるのか」が浮き彫りになってくる。書くことで自分的に「満ちる」という感覚に興味があることに再確認できた。

 

 

・ ・ ・

 

 

最初から狙ったものではなかったことは明らかになっているが、今回の公演は音楽が印象的だった。なので、ここで音楽の「アドリブ」と「即興」についても少しだけ触れておくことにする。私の定義付けが正しいのかどうかはわからないが、私は「アドリブ」と「即興」は別物と考えている。

 

「アドリブ」は、あくまでもアンサンブルやイディオムを基調にして成立するもの。今回で言えば、おそらく……深谷さんが与えたと思われる振り(かきむしりなど)がイディオムにあたるだろう。しかし、イディオムを手がかりした発展や関係性の深化があったのかというと、かなり疑問が残るものだった(ダメという話ではない)。

 

それぞれの場で、とても長く技術の修練を続けてきた3人。経験値も高い3人は何を考えてあの場にいたのだろうか。予定調和を完全に排除した何か(即興)に賭けようとしていたのか? それとも関係性を模索していたのか?

 

ちなみにフリー・インプロヴィゼーションの第一人者であるデレク・ベイリーは、フリー・インプロヴィゼーションを「記憶なしに演奏する」ことと定義している。そのためには「速く考えられることに集中する」ことが重要だとインタビューで答えている。また、即興は「アイデンティティによってのみ確立される」とも話している。

 

デレク・ベイリーと田中泯さんとの共演映像があったので、参考までに。なみにデレク・ベイリーは日常では鬼のようにギターの基礎練習を欠かさなかったそうだ。技術は表現の幅を広げる。当然のことである。

 

「Derek Bailey & Min Tanaka – Mountain Stage (1993)」

 

発達心理学者であり精神分析家として有名なエリク・エリクソンは、アイデンティティとは「自分は何者で、何をすべきかという概念」であると位置づけている。

 

今回の公演で3人はどれだけアイデンティティについてどの程度考えていたのだろうか。そこには非常に興味がある。そして深谷さんはアイデンティティについてどう思っているのだろうか。

 

そして、もしかすると見る側にもアイデンティティが必要なのかもしれない。いや、見えないものに迫るのではなく、蓮實重彦のように「表層」にこだわる見方もある、か……。

 

今回の公演に立ち会った人たちはどのような感想を持ったのかはわからないが、不完全燃焼だと受け取った人もいたようだ。それも感想の一つ。私にとっては思考問題を出されたといった感じだった。

 

・ ・ ・

 

公演が終了し、ここで職業病が発動。片付けを手伝う。片付けは、舞台を別の角度で体感できる面白さがある。ボリバケツの水、散乱したビニール、潰れた紙コップ。彼らの役割はなんだったんだろう。小道具として3人を際立たせていたのか? それとも3人の隠れ蓑になってしまったのだろうか? そんなことを考えつつ、捨てやすいようにまとめる作業をさせてもらった。

 

・ ・ ・

 

ここまで書いて、やっと当日パンフに目を通す。

 

 

この公演は長谷川六氏による「TOKYO SCENE」の中で行われた『宙吊りというサスペンス』流れを汲むものだという。検索すると「5分ダイジェスト」がヒット。会場はBank ART StudioNYK 3階ギャラリーB。

 

 

大量のカトラリーの金属音が反響する。

 

どのような意図があったのかはわからないが、その “ 場 ” は、鋭さ・堅牢さ・緊張感に支配されていた。映像を見る限り、その “ 場 ” には、間違いなく「美」が大きく存在しているように感じられた。「美」の定義は人それぞれではあるが、鋭さや緊張感は欠かせない要素ではないだろうか。

 

 

・ ・ ・

 

 

「月の下の因数分解」というタイトルの答えも書かれていた。『3人はギラギラして他者を押しのけて主張するタイプではなく、月の下がピタッとくる』というところから「月の下」が付けられた。そして因数分解は、3人の何らかの変化を願ったものだった。

 

因数分解とは、足し算や引き算が混ざっている式をかけ算の形に変形することである。もっとザックリと言ってしまうと、要素を抽出&細分化すること。深谷さんは3人の因数分解を求めていたのだろうが、3人は因数分解をどれだけ意識していたのだろうか。「自分にあって他者にはない要素」「自分にも他者にもある要素」などについて、どこまで深めていたのだろう。

 

数学での因数分解には正解はあるが、即興の因数分解に正解はない。だからこそ3人も苦労したことだろう。

 

深谷さんが2024年5月から始めた「動体観察2Daysシリーズ」は、深谷さんのソロダンス&深谷さんの作・演出の組み合わせの2Daysカップリング企画。毎月、12月まで続く。きっと深谷さんは2025年以降についても視野に入れていることだろう。

 

2025年は『宙吊りというサスペンス』的な群舞のような形になるのか、それとも複数の場面を組み合わせた演劇的即興公園となるのか、それとも極私的なソロダンスへ焦点を絞り直すのだろうか……。

 

 

・ ・ ・

 

 

今回の公演を拝見しダラダラと思いつくままに書いてきた。しかも一気書きではなく、時間を空けて、さらに書いたものを読み直さないままに追記するスタイルである。もしかすると読み直すと論理が破綻している部分もあるかもしれない。しかし、書くことで自分の即興に対する意識が整理されてきた気がしている。

 

 

前半部分で「富士栄秀也さんと一緒に即興に関する企画を行う予定をしている」と書いたが、おぼろげながら筋道も見えてきた。

 

即興には「美術的な緊張感のある空間」と「演劇的なアイデンティティ認識」の2本柱が必須要素なのではないだろうか。

 

 

今回の公演に関連した方々に感謝しかない。

 

以上!

 

(注)記事内で記載した公演の時間経過と内容は目安です。おおよその流れです。メモが間違っている部分、読み間違いしている部分があるかもしれません。どうぞご理解ください。

 

 

『月の下の因数分解』
動体観察2Daysシリーズ・23日バージョン

日時:2024年6月23日(日)・16:00開演
会場::六本木ストライプハウスギャラリー・スペースD
出演:梅澤妃美・秦真紀子・三浦宏予
照明:玉内公一
音響:サエグサユキオ
舞台監督:津田犬太郎
作・演出:深谷正子

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