今早ければ数年のうちに価値観が転換するときが来るような気がしてなりません。とくに東京オリンピック以降、日本がどのような状況に陥っているのでしょう。格差が進行し、破綻が待ち受けているような気がしてなりません。
そのときの拠り所となるのは「文化力」だと考えています。
「文化力」を養うために何をすべきか? 私にもわかりません。
そもそも「文化」とは・・・なんなんでしょう。
人間の精神活動を具現化したもの。行動、発見、想像、実験、知識、技術、伝達、意識、創造の集合体であり、知性と創造力の所産である。アートな生き様をしてきた先人が切り開いてきたもの・・・現時点ではこのように考えています。
結局、私ができることは、いままで生きてきた中で巡り会った尊敬できる人や熱中したことに寄り添いながら自問自答を繰り返すしかないようです。
今回の「エコーズ-12」は、以前から好きだった哲学者・西田幾多郎の『純粋経験』と尊敬する数学者・岡潔の『情緒』を意識しつつ、さらには般若心経なども取り入れつつ、実験的な試みをしたいと思っています。
出演者はみなさん、個性的かつ実力者揃いです。ソロやコラボなど、どのような展開になるのか楽しみです。ベルギーからアランさんが来日するタイミングに合わせての即興中心のライブです。
一秒一秒を生きる、奏でる、パフォーマンスする、経験する「刹那」・・・そして「刹那消滅」。その場に居合わすことで、予定調和的な満足感ではなく、直感に働きかける得体の知れない光を感じとってもらえれば幸いです。
得体の知れない光・・・意味不明な言葉かもしれませんが、脳味噌が「あっ!」「これっ!」「なんだ??」と感じたときに、脳内で光が見えたりしませんか? 西田幾多郎の『純粋経験』や岡潔の『情緒』の先には、そんな光が存在すると思っています。
その光が文化力の道標になるような気がしています。
二人の印象的な言葉を記しておきます。
<西田幾多郎の言葉>
「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人があるのである」
「経験するというのは事実そのままに知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである」
「純粋といふのは、思慮分別を加へない、真に経験そのままの状態をいふのである」
「たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だ主もなく客もない、知識と其対象とが全く合一して居る。これが経験の最醇なる者である」
<岡潔の言葉>
「感覚は刺激をだんだん強くしないと同じ満足が得られなくなるが、情緒の印象は重ねれば重ねるほど色増すものである。たとえば時雨の音は聞けば聞くほど深くなっていくのである」
二人の根底に流れているのは、「禅」の思想です。そして禅宗で主に詠まれるお経は「般若心経」です。
「般若心経」の真髄は、「空」という概念。
今回は「観念の呪縛から解き放つ」方法のひとつとして、「般若心経」を使用します。内容だけではなく、読経の響きは日本的な(亜細亜的な?)潜在意識に働きかける存在だと考えているからです。
長くなりました。
アートを哲学の世界観(宇宙観)で捉えようとすると、パッと目の前が明るくなったり、急に闇の中に放り出されるような気分になってしまいます。
最後に、物理学で宇宙と向き合ったアルベルト・アインシュタインの言葉を。
「すべての宗教とアートとサイエンスは、同じ一本の木の枝である」。
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